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アーティストを特別視せず、芸能人の恋愛も祝福する――タイエンタメの独自カルチャーに迫る

「音楽はみんなのもの」「アーティストは身近で“会える”存在」 タイの独自事情

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『CAT EXPO 10』の様子

 それぞれの回答は彼らがある種、成熟した精神性でエンターテインメントと対峙していることを伝えるものだった。こうしたスタンスを大衆が共有しているからこそ、日本にいる我々にとってタイは「音楽とかエンターテインメントに寛容な国」であるように映るのかもしれない。

 『CAT EXPO』からの帰り、バンコク市街地へ向かうタクシーの中で、同フェスに招いてくれた“タイポップス探検家”山麓園太郎氏にそう伝えると、「タイでは日本より“音楽はみんなのもの”という意識が強いので、そういった印象を受けるのかも」という興味深い答えが返ってきた。

 日本だけではなく、世界各国で音楽シーンの細分化が起こっていると言われるが、タイでは今も「音楽はみんなのもの」と言えるような公共性が保たれているのだろうか。

あくまで僕個人の印象ですし、タイでもCDなどのフィジカルよりAppe MusicやSpotifyに代表されるストリーミングが優勢で、イヤフォンを通じて個人的に音楽を楽しんでいる人が多いことは変わりません。ただ同時に、タイでは音楽は“個人の嗜好品”ではなく“大衆娯楽”として比較的有効であり続けているのも事実だと思います。市場や喫茶店、レストランでも常に流行歌が流れていて、洋楽と同じくらい国内のポップスやインディーロックがかかっている。ヒットソングが街角でずっと聞こえているという状況があります」(山麓氏)

 たしかに実際、往年のロックバンドからアイドルグループ、BLドラマ俳優、YouTuberまでが出演していた『CAT EXPO』でも、来場者はアーティストと共にほとんどの楽曲をシンガロングしていた。つまり、これだけ多種多様なアーティストが集まっていても、それぞれの楽曲が、各アーティストのフォロワーのみならず大衆にしっかりと認知されているということだ。

 日本では、ヒットソングを知っているよりも、マイナーな音楽に詳しいほうが“イケている”とみなされる風潮も強いように感じられるが、タイではどうなのだろうか。

もちろんマニアックな音楽をあえて支持する人も少なくないと思いますが、その感じがスノビズムっぽく表出していないように感じます。それは、タイの人々の精神性に“サバーイ”が深く根付いていることが、大いに関係しているのではないかと。

 サバーイとは“心地よい”を意味するタイ語で、タイの人々は自分だけでなくみんなが“サバーイ”でいられることを重要視しているように感じます。ですから、マニアックなものを押し付け合うというより、むしろ誰かがオススメしてくれたものにはとりあえず耳を傾けてみて、感想を伝える。そうやってみんなで共有しつつ楽しむほうが“サバーイ”だよね、と考えるんです」(山麓氏)

 さらに山麓氏は、「音楽はみんなのもの」という考え方に大きく影響しているタイならではの事情についても解説してくれた。

タイは人々の経済格差も大きく、激しい学歴社会でもあります。なおかつ軍事政権でもある。なので、若者たちは自国の政治についてよく勉強しているし、政治への関心も高いんです。そういった背景のなかで、ポップスはある種、民主主義のアイコンにもなっているような気もします。上の世代から押し付けられたものではなく、自分たちの世代から生まれて自分たちが守っていく、“自分たちのカルチャー”だという意識でポップスを受け止めている。だからこそ、今の時代の気分を歌う流行歌を、同世代=仲間で一緒に歌うということに大きな意義があるんだと思います。

 それから、タイの音楽はメジャーであれインディーズであれ、大体の曲が1番のサビと2番のサビが同じ歌詞になっていることが特徴で、これが“覚えやすく、みんなで一緒に歌いやすい”=公共性にも繋がっています。なぜ歌詞が同じになるかというと、タイ語には声調があり、同じ発音の単語でも音節の中での高低・昇降の変化によって言葉の意味が変わってしまうため、音楽で表現する場合もメロディーの動きとその歌詞が意味するとおりの声調とを一致させる必要があるんですよ。そうした言語的な事情から、同じメロディーの上に違う歌詞を乗っけることが困難なので、サビは歌詞を使い回したほうが苦労が少ないわけです。このような事情から、“楽曲派”のアーティストには、タイ語の声調の制約から自由になるために英語で歌詞を書く人も少なくないんですよ」(山麓氏)

 これらの複合的な要素が影響し合うことで、タイの大衆、特に若い世代によるポップスの受容は日本とは大きく異なっているのだろう。だが、タイにおけるアーティストとファンの関係性を捉えるには、さらに音楽産業における構造の違いも念頭に置く必要があるという。

マネタイズの仕組みが、タイと日本で大きく異なることは重要なポイントだと感じます。日本ではファンがお金を出してアーティストのコンサートに足を運びますが、タイでは商業施設やスポンサーが出資してイベントを開催し、そこでアーティストに歌ってもらうことで客足を呼ぶという形が一般的。週末になると、街のあちこちでアーティストのフリーイベントが開催されています。つまりタイではアーティストと直接会える機会が多く、親しみやすい身近な存在として受け止められているんじゃないかなと思いますね。

 そして身近であると同時に、アーティストは“音楽やパフォーマンスによってみんなをサバーイな状態にしてくれる存在”でもあるため、リスペクトの対象になっていることも重要だと思います。パフォーマンス中は、ステージ上にいるアーティストだけでなくオーディエンスも一緒になって歌うことが一般的になっていることもあり、あくまで音楽を中心とした円の中にアーティストとファンが一緒になって存在しているといった意識がある。だからこそ、ファンとアーティストの間に壁がないんでしょうね」(山麓氏)

 タイでは「アーティスト=ファンが支える存在」ではなく、アーティストもファンも、お互い“個”であるという意識が強いということだ。

どちらに対しても依存する必要がない構造になっているように思います。そういった背景もあって、タイでは昔から芸能人の恋愛事情に関してすごくオープンだったんですよ。アイドル的な人気を集めている歌手が、パートナーと撮った2ショットをSNSに上げてファンが“いいね”するという光景がごく一般的なのも、ファンが芸能人に依存していないからこそかもしれません」(山麓氏)

 メディアが細分化されカルチャーのニッチマーケット化が進むとともに、ファンビジネスがエンタメにおけるマネタイズの要として機能する状況は、今や日本だけでなく全世界的に共通しているだろう。そんななか、タイでも同様の方向性への変化は起こりつつも、同時に音楽が人々を(ファンとアーティストさえも)並列に繋げるコミュニケーションツールとして存在していることが特異な点であり、それこそが冒頭に触れた「寛容」さに結実している。

 そしてこの独自性は当然ながら、タイならではのさまざまな文化的・政治的背景によって築き上げられたことを、山麓氏の解説が再確認させてくれた。『サマーソニック・バンコク』を皮切りに、今後タイと日本のカルチャーシーンはさらなる交流がもたらされることと予測する。エンタメが言語や国境を越えていく現象がさかんに見られる現状で、その架け橋となりえるプラットフォームやメディアの成功のカギは、自国と他国の各カルチャーシーンにおける独自性をいかに解釈し、互いの受け手が共に楽しめるよう設計していくかにかかっているだろう。

菅原史稀(ライター・インタビュアー)

編集者、ライター。1990年生まれ。webメディア等で執筆。映画、ポップカルチャーを文化人類学的観点から考察する。

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