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『ゴジラ-1.0』はなぜアメリカで大ヒットし、日本では「シン・ゴジラ以下」なのか

「原爆批判」「反核」のメッセージが薄い『ゴジラ-1.0』

 そして『ゴジラ-1.0』がアメリカで受けている第2の理由は、ゴジラの誕生の理由であるビキニ環礁の核実験、ひいては日本に投下された核爆弾による虐殺という“負のテーマ”に踏み込まなかったからだろう。

 1954年に公開された初代『ゴジラ』には、米軍がビキニ環礁で行った水爆実験により遠洋マグロ漁船の第五福竜丸の船員が被ばくした同年の「第五福竜丸事件」の影響を受け、「反核」のテーマが盛り込まれた。ゴジラを退治するオキシジェン・デストロイヤーを開発する科学者・芹沢博士は、太平洋戦争で片目を失った後は世捨て人のような生活を送り研究だけに没頭していた。偶然オキシジェン・デストロイヤーをつくったものの、水爆に匹敵する兵器になる可能性がある以上、公表できないとするが、ゴジラによって破壊された東京の被災民たちの平和の祈りを聴いて、「一度きり」だとして使用を決断しつつ、二度と使用されないよう研究資料をすべて破棄する。

 科学の発展が平和のためにではなく、限りない死と破壊を招くことを批判しているのだが、初代ゴジラのリブートである『ゴジラ-1.0』ではそうしたテーマや批判性はかなり薄められている。

 進駐軍は、ゴジラが街を破壊しても、対立しているソ連を刺激したくないという理由で大規模な軍事行動を控える。アメリカといえば自分たちが関係していない他国の戦争にまで首をつっこみ、ミサイルや戦闘機を売りつけているのだから、日本政府が何も言わなくてもゴジラにミサイルを撃ち込み、爆弾を大量投下しまくってもおかしくないのだが。

 『ゴジラ-1.0』ではあえて描かなかっただけなのかもしれない。だが、たとえばこんな話がある。『GODZILLA ゴジラ』では、渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士について、父親が広島に投下された原爆の影響で被爆しているという設定があるが、ゴジラを核兵器で殲滅しようとする米海軍提督に、広島で自分の父親が経験した地獄を芹沢博士が語って聞かせるというシーンが当初の脚本には存在しており、撮影も済んでいた。

 ところが映画の制作に協力していた米国防総省は、アメリカが日本に原爆を投下したことに対する謝罪や疑問を投げかける意味がこのシーンにあるのなら映画に協力しないとして修正を求めた。映画でゴジラと戦う米軍の戦闘機や艦船の撮影許可を米国防総省から得ていた制作サイドはこの「圧力」に屈し、完成版では渡辺謙が原爆投下時刻の8時15分で止まった時計を見せるだけにとどまることになった(これはこれで印象的なシーンではあるが)。

 もし『ゴジラ-1.0』にこれら「原爆批判」「広島・長崎に関連する反核のメッセージ」が強く込められていたら、はたして全米の観客はこの映画に熱狂しただろうか。なにしろ初代ゴジラのアメリカ編集版『怪獣王ゴジラ』においても、長崎の原爆、ビキニ環礁の被ばくなどの要素は全部カットされていたのだから。

 『ゴジラ-1.0』は神木隆之介演じる復員兵がトラウマを乗り越えるためにゴジラに立ち向かう物語だ。「トラウマに苛まれる帰還兵の物語」はハリウッドでは定番のテーマであり、だからこそ『ゴジラ-1.0』は受け入れられやすかったともいえる。

 アメリカにとってゴジラは「強さ」の象徴だ。デカくて強いやつが街をぶっ壊す! 極端な言い方をするとそれだけでいいのだろう(もちろんそれだけの理由で観てもいいんだけど)。科学批判はしても米軍批判はしない!

 それゆえ、このアメリカでの大ヒットを手放しで喜んでいいのか、筆者にはわからない。

 唯一の誇らしいところは、大金をかけなくたって凄い映像は作れるってことだ。ハリウッドではマーベルやDCのアメコミ映画に大予算が突っ込まれ、最新のCGによる映像が当たり前のように出てくるが、そのCGを作っている会社は仕事を受けるために最低金額で入札を勝ち取り、休む暇もなく仕事をし、公開直前までCGの修正を求められ技術者は青息吐息。一部のハリウッドCG会社は「もうマーベルやDCの仕事なんかしたくない!」と抗議の声を上げている。で、それらの声に対してスタジオは「安い外国に発注しよう」とか言ってるらしい。日本のアニメ業界と同じじゃないか!

 3月の第96回アカデミー賞の視覚効果賞部門にノミネートされた作品は、製作費2億5000万ドル(375億円)の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』に、製作費2億9100万ドル(436億円)の『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』など超大作が並ぶ。その中に製作費15億円と言われている『ゴジラ-1.0』が入っているのはまさしく快挙だ。CG会社は「ゴジラが理不尽な現場を踏みつぶしてくれないかなあ」って思ってたりして。

 このまま『ゴジラ-1.0』が受賞したら「CGに大金使うなんてコスパが悪い!」と倍速で映画を見る若者みたいなこと言いだしたりして……ってそれじゃ逆効果だよ!

『ゴジラ-1.0』が国内では『シン・ゴジラ』のようなヒットとならない理由

 何にせよ、邦画作品が全米で大ヒットしているのは喜ばしいこと。一方、国内での興行成績は思ったほど伸びておらず、公開およそ2カ月(62日間)で50億円突破。公開1カ月で53億を記録し、最終興行収入82.5億円となった『シン・ゴジラ』(2016年)に遠く及ばないのだ。

 一方で『シン・ゴジラ』はアメリカでは限定公開されるにとどまったが、このような逆転現象が起こっているのはなぜか。

 まず考えられる理由として、2つの作品におけるクライマックスの違いがある。

 『シン・ゴジラ』は、在日米軍がゴジラ掃討のため出撃するものの、ゴジラは米軍の攻撃をものともせずに全滅させ、さらに都内を破壊、その影響で日本政府の閣僚は全員死亡。代理の総理大臣が立てられ、各省庁のはぐれ者集団が民間と協力してゴジラを凍結する「ヤシオリ作戦」を実施するという展開になる。

 こうした展開には、強大な敵に挑むスーパーヒーローもののようなカタルシスが存在し、民間人が協力して行う作戦によって観客が自分自身を投影できるようになっている。だから観客は「自分たちの映画」として『シン・ゴジラ』を観ることができる。実際、公開時には発声していい「応援上映」が行われ、リピーターがこぞって映画館に訪れていた。

 それに比べ『ゴジラ-1.0』では、元軍人と民間の共同のもとで行われた作戦が失敗し、神木隆之介が特攻覚悟の突入を決行するという、爽快感よりも悲壮感が漂う展開なので、『シン・ゴジラ』のような応援上映はしにくいだろう。気軽に観に行って「応援しよう」というテンションになりにくいのだ。そもそも特攻するクライマックスをどうやって応援するのか。

 もうひとつの理由は、同時期に競合する人気作品に観客を持っていかれたことだ。一作目が人気を博したコメディ『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』、水木しげる生誕100年を記念した新作アニメ『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』、太平洋戦争時にタイムスリップした女子高生と特攻隊員の恋を描いた『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』、ディズニーの新作『ウィッシュ』、そして人気漫画原作の『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』『ゴールデンカムイ』と、軒並み全国300館を超える大規模公開作品が目白押しで、熱心な映画ファンはともかく、年に映画を2~3本しか見ない一般観客の興味が『ゴジラ-1.0』に向いていない。

 日本国内の不況も相まって、数年前なら80億稼いだであろう作品が今では60億をなんとか越えようかという状況から考えられるのは、国内の映画市場がやせ細っているのではないか。邦画というものは日本国内だけである程度ペイできると言われていて、邦画(特に実写)の多くは海外市場をほとんど意識していなかった(アニメは海外でも数字を稼げる唯一のコンテンツ)。だが国内で稼げるはずの作品が稼げないのなら、海外に目を向けるしかない。

 そういう意味で『ゴジラ-1.0』のアメリカでの大ヒットは、邦画が海外市場に目を向けるまたとない機会でもある。

 『ゴジラ-1.0』が視覚効果賞を受賞するかどうかは邦画の今後を大きく左右することになる……かもしれない。現地時間3月10日に発表される第96回アカデミー賞に注目だ。

しばりやトーマス(映画ライター)

しばりやトーマス(映画ライター)

関西を中心に活動するフリーの映画面白コメンテイター。どうでもいい時事ネタを収集する企画「地下ニュースグランプリ」主催。

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